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【明石邦彦のつぶやき】XXとXYの働きを知る |
2026/10/29 |
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88歳になる養老先生が色々の本を出版して「世に問う」ことをされている。肺がん患者でもあるので、これからの著作活動がどれほどできるのか心配だ。夏から秋にかけて壁シリーズで4冊を読破したので、次の壁を読みたくなった。5冊目の「超バカの壁」を事務局に頼んで、取り寄せた。内容を確認するといろいろな話が取り上げられているので、読者から見るとなんだかまとまりがないようにも見える。しかしながら、随所に「なるほどなあ」と思うことも多い。また、先生は医学部の出身であるので、生物学的な観点からの取り上げもある。そして、その知識について詳しく話されるので、あらためて再勉強することとなった。
さて、この本を購入しようと思ったのは靖国神社に対する先生の考え方が掲載されている章があると知ったからである。先生が靖国神社に対してどのような考え方を持たれているのか、戦中、戦後の議論を通しての中からの判断に興味があった。読んでみると自らの考え方というか、割り切り方を伝えられているように思った。「個人での崇拝は良い、総理大臣は個人ではない」とし、「靖国問題が繰り返されるのは信教の自由を皆がまじめに考えないから」とされている。先生の考え方には反論があるかもしれないが、人はそれぞれの歩み方が違うので、考え方に違いがあるのも当然だ。先生は戦前のお生まれであるから時代背景をもとに考えられているが、戦後すぐの生まれである私にはかなりヒットする考え方でもある。また、国立墓地の捉え方に「無宗教は問題」とされている。新しい宗教の誕生となると予測されるのでと。でも、仏教でも無宗教というところもあるのではと思った。長野の善光寺は無宗教(儀式には天台宗、浄土宗が参加)を謳っているのに、2つの宗教が朝の催事に参加するのはどう違うのだろうと思ったりした。無宗教かもしれないが、信仰心の一つの表れもあっても良いのではと思う。国の墓地にはいろいろな宗教の人が埋葬されているはずで、いずれも国に準じた死であることには変わりないと考える。
さて、靖国問題よりも男と女、若者、子供の章に読みがいがあったので、取り上げてみた。我ながら男と女の章には学ばされた。性染色体の違いをあらためて勉強することになった。内容は女性のXXと男性のXYの働き方の違いである。XX、XYは一般的な知識として持っているが、XとYの遺伝子の働きについてはあまり考えたことはなかった。特になるほどと思ったのは男性の持つY染色体の働きだった。先生の説明によればY染色体は性腺の所に精巣を作り、本来、男の体内にある子宮と卵巣をホルモンの働きで、その部分を殺して男を作るとある。
そこには次のような働きが書いてある。
女性:一方のXが働き、細胞の不活化を行う。Y染色体が働かなければ基本的に人は女性になる。
男性:Xは当然働き、Yが加わって働く。しかし、Yは少し働くだけ。性腺原基を精巣に変えるだけとされる。
先生は乱暴な表現だと断りながら、男は上述のようにY遺伝子が無理して、男を作るので、出きそこない(障害を持つ人?)が多いとある。また、偏った人や極端な人が出る(独創性を求められるノーベル賞は圧倒的に男性が多い)。よく言えば男性の方が幅広いと言える。また、コレクターは男性の方に多い。このようなことを列挙されると男性の方が育てにくいと判断できる。しかし、生物学的にみれば女性の方が強く、より現実に適応していることになる。女性は平均寿命が長いことは明白である。口論になると男は理屈で考えるが、女性は内部的な安定性があるためにびくともしないし、頑固さを持つとすると述べられている。私が考えるに、確かに、女性の方が喧しいところがあり、男性は結論を求めようとしてもなかなか論議が決着しないのもよく見る姿でもある先生が列強されていることを考えると男女の日常の行動で腑に落ちることが多いと思った。
また、若者の章で「仕事がつまらない」と言ってやめる人に対して「自分のやることを人が与えてくれるものだと思っているから」と切り捨てている。子供の章では少子化問題が取り上げられていた。そして、現代社会では子供が必要ではない。昔は家制度があり、子供が必要とされたが、現代では家制度そのものに価値がないと考えられている風潮がある。これは改めて核家族のなせる結果だと考える。私も小さい頃は「自分の役割は家格を上げることだ」と考えていたが、西洋的教育の結果だと思うが、家という概念が薄れてきたように思う。今の世代には家よりも個人(西洋的にアイ:I)の考え方が幅広く浸透したことにもあるのだろう。墓があって、家代々とか考えるよりも、転勤族で安定した住環境が確保できないことにもよると考える。私だって関東に墓を作って、息子や孫たちに墓参りは強要したくはない。さしずめ納骨堂に入り、遠くの家族からもパソコンなどで挨拶ができるようになるのが良いのではと思ったりする。中野区の親戚では墓仕舞いをし、樹木葬を考えていらっしゃるようだ。時代の流れを反映させた「超バカの壁」であった。
画像:壁シリーズ(色々)
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